演劇論:No8「暗転の効用」
 私は暗転が嫌いです。特に場面転換するための暗転は認めたくない暗転の一つです。
 私が暗転を嫌うのには理由があります。暗転が多い芝居は観ていてダレます。
 中に「暗転は休憩だ」なんてことを言う人もいますが、そんな頻繁に休憩をとらないと観ていられない芝居しか書けないんだったら、もっと短くすればいいじゃないか、というのが私の意見です。
 暗転には、観客の気持ちを切ってしまう絶対的な暗転の効用効果があります(暗転芝居をのぞいて。代表作は「ブラック・コメディ」)。テレビで言うところの「CM」なんです。
 逆に言うと、観客の気持ちを切らなければならない、例えば、全く別のストーリー展開が始まるとか、そういった場合には暗転をして、観客の気持ちを切ってあげなければなりません。
 演劇の場合、話の展開と場面の転換は必ずしも一致しません。例えば、舞台上の登場人物を別の場所に移動させるためだけに、最近の演劇の傾向としては背景を変えるためだけの暗転をしてしまうことが多いんです。話の展開はつながっているのに。
 私の中で暗転をしていいのは、
・登場人物の心理的連続性が分断されている。
・時間の連続性が分断されている(ただし、同一場面で)
 この場合だけです。ただそれ以外に、ここで観客の気持ちを切ってあげたほうが、話が分かりやすいだろう、という部分でも、暗転をすることがあります。
 つまり、暗転は前のシーンと別のルートからのアプローチを仕掛ける場合に使われます。暗転が観客に送るメッセージは、次からは今までのとちょっと違うストーリー展開を始めますので、気持ちを整理してください、だと思っています。なので、演出を担当される方は、たとえ脚本に「暗転」と書かれていても、本当に観客の気持ちをここで着る必要があるのか、考えた上でうまく暗転の効用を利用してほしいものです。


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